ある地震誤報の教訓


翻訳 石川有三


 この文章は,中国の国際地震動態誌1991年3月号(8-10頁)に掲載された報告を翻訳したものです.この報告は,昨年の1月に塩城(Yancheng)市で発生した地震情報の誤報に関連して発生した出来事をまとめています.塩城市は,江蘇省の中央部に位置し,南京から北東約 200km,上海から北北西約250kmで黄海沿岸に近い所に位置する人口約 120万人の中規模の地方中枢都市です.同市は市以外に周りの8つの郡を管轄し,管轄下にある地域は図の点線で示した範囲です.その面積は約1.5万平方kmと,ほぼ岩手県に等しく,人口は 700余万人と神奈川県の人口に近いものです.文章中に人民元の金額が出てきますが,1元が日本円でおよそ24円,一般サラリーマンの月収は約100元という所です.
 また,李四光という人は,革命後の資源探査,特に油田探査に大きく貢献した中国では大変有名な構造地質学者です.映画の主人公にもなっています.
 今回の誤報のほかに,地震デマで社会混乱がおきたという例は1980年代に何度もあったことは前々号の本誌で述べたとおりです.

(1992/08/03)



ある地震誤報の教訓

 徐元耀(Xu Yuanyao) 江蘇省塩城地震観測所


要約

 1991年1月,塩城市当局は地震部門のある地震予報分析意見を地震予知情報と誤解し,その内容をそのまま一般の人々に伝えた.このため一連の地震誤報事件が発生してしまった.この事件では死者2人,負傷者1人を出したほか,社会的にも経済的損失を生じた.本文では,この事件の発生過程と社会への影響および経済損失の発生したようすを具体的に紹介する.


1.部内地震予知情報の漏洩

 1991年1月上旬,江蘇省地震局は1991年及び短期地震活動予測検討会を開催した.会議では国家地震局分析予報センターのある分析意見を伝え,併せて江蘇省政府へ報告書を作成した.省政府はただちに部内分析意見を各市担当部門の主な責任者へ伝達した.塩城市の担当部門は,この情報を受け取ったあと事態を重視し市長を本部長に,市担当責任者を副秘書にし,速やかに地震防災対策本部を設置した.また,公安,消防,病院,電力など災害関連部門に防災本部を設立し,積極的に食料を備え,避難小屋を作り,あわせて部内分析意見を一般の人々に伝えた.また,市の広報部門は塩阜大衆新聞社に指示を出し,新聞で地震防災の知識普及のための記事を掲載するよう求めた.その記事では,地震の前兆,地下水,地下の音,光と地震,そして地震時の対応と地震後の対応策などを説明した.同時に塩城テレビ局や塩城郊外の有線放送局などの放送機関にも働きかけた.このため逆に地震を恐れる人々の心理状態は日増しに高まり,地震が重要な話題となり,人々に地震がまもなく発生するだろうという気持ちにさせてしまった.

2.塩城市の地震防災対策

 大地震がまもなく発生するだろうと一般の人々が思うようになったので,各商店や企業も地震防災対策をするようになった.可能なところでは避難小屋を作り,小屋を作れない所は建物に耐震細工を施し,二階建以上の建物に住んでいる人は平屋へ移り,ある人は老人や子供を安全な所へ移し,またある人は夜,荷物を持って郊外へ行き夜を屋外で過ごした.
 塩城市は郊外に14の地区があり,各地区には平均300戸の住宅がある.もし住民の70%が避難小屋を作ったとすると2940戸の小屋が作られたことになり,加えて市街地区の大慶地区,通楡北地区,万戸新地区などでも少し小屋が作られ,これらの合計が300戸以上あり,総計では3240戸に達した.これらの小屋の建設費はいろいろで,高級なもので1000〜2000元,安いものはわずか10〜20元,平均すると一戸当り30元と推計され,これらを全てあわせると97,200元の費用がかかっていることになる.ここに述べたのは塩城市に属する8つの郡(訳注:中国の県)の避難小屋を含んでいない.屋外に小屋を建てる以外に屋内で耐震対策を施した家も相当数にのぼり,それは主に床とはりを強化した.また,ある人は大きな平屋から小さな炊事場へ移り住んだ(なぜなら,小さな炊事場の方が屋根が軽いからである).地震防災のキャンペーンがされている間,防災用品購買の嵐が塩城市に吹き荒れた.懐中電灯,乾電池,ビスケットなどは猛烈に売れた.旧正月も近くにせまり本来ならビスケットの生産をやめている塩城市糖果菓子製造工場も1月11日から13日にかけて2,250kgも突貫生産を行った.個々の商店は火事場泥棒的に商品に防災応急製品印をつけて売りさばいた.ある会社では社員のために懐中電灯やビスケットなどの応急用品を買い揃え,社員のために家財保険に入った.例えば,塩城市の商工銀行などでは各行員のために銀行が1万元の家財保険に入った.塩城市には三つの保険会社があるが,いつもはガラガラであるのに,この地震防災の数日間は大変混み合い,保険会社は可能な社員すべてを窓口に投入した.この地震防災期間に塩城保険会社の家財保険による収入は約40万元で,これは平常時の13倍以上であった.人々は急いで地震前に保険に入ることを希望したが,本当の地震予報が発表された後は保険会社の業務は停止され,保険に加入することができないことを知らなかった.

3.塩城市の地震防災の社会的影響とその経済損失

 地震防災期間には塩城市の道路の両側,広場,緑地周辺などでは避難小屋が見られ,交通安全,環境衛生,住民生活で多くの問題が発生し,また経済的にもかなりの損失を生じた.おおまかな統計によれば,塩城市の市街地区では避難小屋のために97,200元を費やし,家財保険に36万元(平常時の4万元を除く),防災物資の購入に一人平均0.50元で市街地区の人口20万人だけで10万元の消費があった.これら三項目あわせると合計で557,200元になる.  誤った地震予知情報が大衆の間に非常に速く伝わったため,地震部門への電話も集中し,あるときは電話が発信も,受信もできなくなった.地震観測所は本来は人々から忘れられた存在であったが,このときばかりは大変注目され,地震に関する問い合わせもあるときは100回以上に達した.
 また,地震防災期間中笑い話のようなことが起きたり,意外な出来事があったりした.例えば,1月13日の夜11時過ぎ,塩城教員学校の寄宿舎で誰かが茶碗のようなものをぶつけてころがした.この音を聞いたある学生が驚いて「地震だ!」と叫んだため,全員がすぐ寄宿舎から飛び出してしまった.そのとき6人が窓から外へ飛び降り,その中の一人は三階から飛び降りたため軽いケガをしてしまった.しかし,*水(Xiangshui)郡の黄*(Huangwei)地区では避難小屋で火事があり,9才の子供と7才の子供が焼死し,父親は悲しみに暮れる不幸な事態となった.
 地震防災期間中,小数の悪意のある者は色々なところで世の中の乱れを引き起こした.ある者は1月16日に市総務部の名をかたり江淮(Jiangwei)動力機器工場の工場長へ電話をし,夜地震があるので工場で対策をとるように言った.工場では地震に備える一方,念のため職員を市へ派遣し連絡をとり,これが嘘であったことを知った.さらに笑うべきことは塩城市の市街地区で広まったある「李四光の地震発生時刻表」というものである.これは唐山地震の発生時刻を基準に一ヶ月中の毎日の地震発生時刻を割り出すというものである.1月17日は旧暦の12月2日で,まさにこの表で予想される地震発生の日にあたり,多く人々は夜地震があると思い寝ずに一夜を明かした.

4.地震予報誤伝達の原因とその教訓

 塩城市当局は,地震部門の部内分析意見を一般の人々へ伝えるにあたり,ある地震活動分析意見を誤って地震予知情報とした.これは,関係指導者が地震予知のやり方を十分には理解しておらず,このため今回の誤伝達事件を引き起こしてしまった.また,一般の人々の認識は,塩城市が重点監視地区になっており,遅かれ早かれ地震の発生はまぬがれえないというもので,さらに地震予報に対しても「いい話は信じにくいが,悪い話は信じ易い」という反応であった.これが地震予報誤伝達をささえた社会基盤と考えられる.
 塩城市での地震予報誤伝達の教訓から我々は,地震に関する部内分析意見の伝達範囲の管理を厳格にし,広く拡散しないようにし,各専門家の分析意見を省地震局が十分に解釈し,省政府を通じて地方へ伝達する必要があるという認識に達した.地震予報誤伝達の損失も小さくなく,地震部門は地震があるという予報だけでなく,地震が無いという予報もあわせて任務となっている.地震が無いという予報は,地震予知の誤報に対処できるもので社会経済的に利益をもたらし得る.地震防災期間中,筆者は質問をしに来た人々に何度も地震情報を説明し,江蘇省塩城中学及び塩城市郊外電力会社では良い反応があり,社会的経済的に効果が大きかった.我々は,地震知識の普及と宣伝に力を入れ,皆に地震予知の現状を理解させ,大衆の地震デマに対する抵抗能力を高める必要がある.


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