1847年5月8日M7.4善光寺地震(弘化4年3月24日) 長野盆地西縁に顔を出す断層のズレによって起きました。地表に地震断層が、長野市小松原ー小市ー小柴見神社ー県庁ーひまわり公園ー信州大学教育学部にかけてと飯山市に出現しています。断層面は、おおむね北東ー南西走向で北西へ傾斜。北西側(山側)が2〜3m隆起する=善光寺平側が山の下へ滑り込む逆断層でした。現在も、微小な余震活動が継続していますが、この震源断層の活動間隔は、950年程度と推定されていて、近い将来同じ型の地震が起きる可能性は低いとされています。 被害は、家屋の倒壊のほか、ご開帳時であったために多数宿泊していた参拝客が火災に会って犠牲になっています。また、山体崩壊のほか、多数の山崩れ、地滑りがあり、大規模な堰止め湖も出来、その堰き止めた土砂流出による洪水発生と被害も多岐に渡り、甚大でした。各地に慰霊碑や塚が多く建立され、現在も残っています。善光寺境内にも地震横死者慰霊碑が本堂の東にあります。 ー今でも残る地震断層跡ー −断層面自体は上盤側が崩れていて見えません。地面の高さの差=段差が残っている所があります。明治時代の調査報告では、このような段差を「床違い」と呼んでいます。 下図は、各地に現在も見られる地震跡の案内図と各地の現在の様子です(石川ほか,2005)。 ![]() ![]() 長野市中心部のひまわり公園。 下の面(道路のように見えますが、上の面と同じ公園です)と階段上の時計塔のある面が同じ高さでした。それが地震時の断層に沿ったズレでこれだけの高さの差が出来たのです。ここに見える斜面は断層面ではありません。当時出来た断層面は崩されていて見えません。 ![]() 長野市小市。 人が立っている後ろのトラックの地面と、写真を撮影した手前の地面が地震(断層でのズレ)で出来た段差らしい。 ![]() 長野市小松原。 奥の人が立っている地面と手前道路の面が地震で出来た段差。奥から手前の道路への坂は、段差が出来て家からの出入りが不便になったためならして作ったものです。石垣は、断層崖が崩れるのを防ぐために築いた物で出来た段差とほぼ同じ。手前の県道の拡幅のため一度築き直されました。 ![]() 長野市小松原光林寺。 2005年10月に京都大学大学院理学研究科のグループがトレンチ調査を行いました。この写真でも地層が途中でズレていることが見えます。まだ、いつ動いたかは求まっていませんが、過去の地震時の断層ズレです。場所は、光林寺山門の中で崖下のリンゴ畑の所。ここは調査後、埋め戻されています。 ![]() 涌池。 地震動で大規模な崩壊が起きた岩倉山の中腹に今もあります。山崩れで崩れた部分の途中に出来た池をその後、農業用の溜池として使われ今も残されています。 善光寺本堂の柱の傷。 善光寺本堂の階段を上がり建物へ入らずに廊下を左へ進むと角にある柱に傷があります。これは、善光寺地震時の震動で釣り鐘が落ち、その時、柱に当たって出来た傷だと言われてます。 善光寺境内にある地震横死塚。 善光寺本堂の東側で通路を越えたところにあります。善光寺地震発生から150年にあたる1997年に古い地震塚を改築し、ここへ移されました。古い石も下から2、3、4段目と一番上にそのまま使われてています。 千曲市稲荷山にある葬冢碑。 当時の善光寺参りの宿場町だった稲荷山宿(現千曲市の一部)は全村焼失し、182人亡くなりました。 弘化丁未地震稲荷山駅横死人葬冢碑 <そうちょうひ>(千曲市立治田小学校へのリンク) 稲荷山宿火災延焼動態図(消防防災博物館)宿場の延焼の様子が、時間と共にどう広がったかを詳細に示しています。 リンク 柏崎日記(渡邉勝之助著)「夜明け前の散歩」のページの中に「桑・柏日記を読む」がある。柏崎と桑名に住む親子の交換日記(?)。柏崎日記の中に地震被害の記載がされている(当時、柏崎は桑名藩の飛び地の領地だった) 善光寺地震の山崩れ(長野県理化学会地学部会) 善光寺地震の傷あと(地団研長野支部) 善光寺地震と崖(地団研長野支部) 善光寺地震と断層ー県庁付近(地団研長野支部) 善光寺地震と断層ー小松原(地団研長野支部) 善光寺地震で出来た涌池(地団研長野支部) 善光寺地震で出来た柳久保池(信州新町)(地団研長野支部) 善光寺地震でおきた地滑り(真光寺)(地団研長野支部) 善光寺地震でおきた地滑り(虫倉山)(地団研長野支部) 東京大学情報学環・学際情報学府の小野秀雄コレクション:かわら版「地震」 信濃国大地震 火災水難地方全図 善光寺地震(仮) 善光寺地震(仮) 信濃国大地震之事 信濃国大地震之事 信州より書翰之写 信濃国大地震 信州 二度目 大地震 信越大地震 地震の戯文 参考文献と所蔵場所 赤羽貞幸・北原糸子,2003,善光寺地震に学ぶ,信濃毎日新聞社,177pp:松代 赤羽貞幸,2004,大規模な山地崩壊とその二次災害,SEISMO,No.8,8-9p:松代 粟田泰夫・佃栄吉・奥村晃史(1987)善光寺地震断層に関する史料と地震断層の現況,歴史地震,No.3,p166-174.:セ 粟田泰夫・佃栄吉・奥村晃史(1995)1988年長野活断層系荒舟断層(荒舟地区)トレンチ調査,活断層研究,No.13,p72-79.:松代 石川有三・春原美幸・伊藤優,2005,善光寺地震の地震断層跡,気象庁精密地震観測室技術報告,22,89-95.:気、気研、松代、セ 伊藤和明,1977,善光寺地震,地震と火山の災害史,同文書院,206-233.:セ 伊藤和明,1983,善光寺地震−−山崩れと洪水の恐怖−−,地理,28,4,45-54. 井原今朝男,2002,中世善光寺平の災害と開発−−開発勢力としての伊勢平氏と越後平氏−−,国立歴史民俗博物館研究報告,96,141-193. 今村明恒,1941,善光寺地震と社会,地震T,13,290-295:. 宇佐美龍夫,1988,善光寺地震の研究(1)−青木雪卿の山崩図絵による調査−,地震保険調査研究・地震災害予測の研究,地震災害予測研究会,昭和61年度報告,23,23-68,(損害保険料率算定会) 宇佐美龍夫・渡辺和幸,1989,善光寺地震の研究(2),地震保険調査研究・地震災害予測の研究(地震災害予測研究会,昭和62年度報告),25,25-50,(損害保険料率算定会) 宇佐美龍夫・古川元一・松永恭介・小沢和弥,1989,善光寺地震の研究(3)−−震度分布−−,歴史地震,5,43-68. 宇佐美龍夫・渡辺和幸,1988,善光寺地震における松代町の被害分布,歴史地震,4,157-166. 宇佐美龍夫・池井戸憲,1990,善光寺地震の余震にみられるー特徴,歴史地震,6,161-165.:セ,気研 岡沢要,1982,弘化四年善光寺大地震記録集,叙勲記念出版,363pp:セ,松代 大石超・岡田篤正・野原壯,2001,長野盆地西縁活断層系の後期完新世断層活動−−ボーリング調査から判明した中野市安源寺付近における事例−−,活断層研究,No.20,52-58.:松代 大森房吉,1904,大日本地震史料 巻之十二〜十七 弘化四年三月二十四日信州の地震,震災予防調査会報告,46乙,1-319:気、気研 大森房吉,1913,本邦大地震概説,震災予防調査会報告,68乙,93-109.:気、気研、セ 大森房吉,1919,本邦大地震概表,震災予防調査会報告,88乙,123pp:気研、松代 岡沢要,1982,弘化四年善光寺大地震記録集,叙勲記念出版,363pp:セ,松代 河原綱徳,1931,むし(虫)倉日記、信濃教育会編,信濃毎日新聞株式会社出版,213pp:セ 北原糸子,2002,近世災害情報論−−善光寺地震情報はどのように伝えられたか−−,国立歴史民俗博物館研究報告,96,219-246. 楜沢龍吉,1976,叙事民謡善光寺大地震−−研究.資料シリ-ズ1−−,銀河書房,179pp:松代 小池剛・高原英男,2000,今も残るつめ跡ー善光寺地震ー,長野市民新聞10月3日号,6-7面.:セ 小久保一哉・石川有三,2004,1847年善光寺地震の震源断層モデル,日本地震学会2004年秋季大会講演予稿集,P171. 小林計一郎(永井善左右衛門),1985,弘化四年善光寺大地震図会−地震後世俗語之種−,銀河書房,270pp:セ,松代 小山丈夫,2004,地震に襲われた山村の人々〜長野県牟礼村の事例から〜,SEISMO,No.11,10-11p:松代 佐山守・河角広,1973,古記録による歴史的大地震の調査(第一報)(弘化四年三月二十四日善光寺地震),東京大学地震研究所研究速報,No.10-2,1-50&14p:松代 斉藤享治,2002,善光寺平の扇状地と地形災害,国立歴史民俗博物館研究報告,96,247-263. 信濃毎日新聞社開発局出版部,1977,弘化四年善光寺大地震,信濃毎日新聞社,240pp. 信濃毎日新聞社編集局編,1998,信州の活断層を歩く,信濃毎日新聞社:松代 善光寺地震災害研究グループ・斎藤豊・赤羽貞幸・中村三郎・望月巧一・長尾勲・山浦直人,1994,善光寺地震と山崩れ,130,1 sheet,(長野県地質ボーリング業協会) 地質調査所,1986,長野県善光寺地震断層近傍のαトラック調査,地震予知連絡会会報,36,164-165. 佃為成・井筒屋貞勝・羽田敏夫・橋本信一・小林勝・酒井要・溝上恵,1987,長野市街地における善光寺地震断層の水準測量,東京大学地震研究所彙報,62,4,501-515.:松代、気研 東郷正美,2002,小松原断層沿いにおける1847年善光寺地震時の地表変位,活断層研究,No.22,45-54.:松代 永井善左右衛門,1985,弘化四年善光寺大地震図会,銀河書房,270pp:セ,松代 萩原幸男・長沢工・大久保修平,1986,善光寺地震断層の重力調査,東京大学地震研究所彙報,61,3,529-535.:松代、気研 原田和彦,2004,善光寺地震と領主,SEISMO,No.9,8-9p:松代 古谷尊彦,1990,善光寺地震に起因した山地崩災−特に虚空蔵山地すべりについて−,(京大)防災科学資料センター・ニュース,2,22-24. 松代藩文化施設管理事務所,1998,平成10年度企画展 震災後150年善光寺地震−松代藩の被害と対応−,89pp. 八木貞助,1947,弘化四年の善光寺地震に随伴した継続したる陸地変形に就て,帝国学士院記事,5,180-186. 山口菊十郎,1948,善光寺地震百年忌記念 善光寺地震,信濃書籍印刷,48pp.:セ 文献行最後の項は、どこに所蔵されているかを示します。 地台:長野地方気象台 セ:松代地震センター(TEL 026-278-2825) 松代:気象庁精密地震観測室(TEL 026-278-2235) 気:気象庁図書 軽:軽井沢測候所 気研:気象研究所 戻る |