台北の総統府入口での記念集合写真。 蕭副総統と記念写真。 台北の総統府から正面に見える台北101。 台北で泊まった福華大飯店(ハワードプラザホテル)の一室。 福華大飯店のロビーに飾られたクリスマス・ツリー。 台湾新幹線の切符。台北から台南までの所要時間は、約1時間40分、料金は1350台湾ドル(約3000円)。 台南市にある成功大学での講演会の後の記念写真。 成功大学のシンボルであるガジュマルの木。 昭和天皇が皇太子の時に台南へ来て、植樹したもので樹齢80年になる。 成功大学土木学科教室前の生垣は、「土木」の文字を作っている。この写真は「土」の部分。 成功大学の中には、日本統治時代の建物が多く現存しています。 烏山頭ダムの貯水地と堤防(右側)。当時は、東洋一の大きさで有効貯水量1億5000万立法メートル。 このダムの建設と嘉義、台南地区の灌漑施設を立案し、建築を指導したのが八田與一(はったよいち)氏。 一帯は干ばつ常襲地帯だったのを15万ヘクタール灌漑し、米、サトウキビ、芋の輪作を指導し 穀倉地帯に変えた。20歳代に立案し、10数年かけて実現したことに大変驚きました。 更に、このような偉大な事をした日本人がいたことを日本国内ではほとんど知られていないことは残念です。 途中でトンネル工事中にガス爆発事故が起きたり、1923年関東地震により経費節減で職員を半数解雇したりと いろいろな苦労があったようです。ダムの所に記念館があり、入り口付近に記念講演もあります。 ネットにはいろいろ情報が出ています。例えば、 http://www.taipeinavi.com/miru/103 ダムの堤防を作るために20km離れたところから岩や土砂を運んだベルギー製機関車。 烏山頭ダムの堤防上に作られた八田與一さんの像と夫妻の墓。 烏山頭ダムの近くにある八田與一記念公園にある旧住宅の復元したもので、 中央の住居が八田所長が住んでいた建物を復元したものです。 両側の2軒も当時の職員の住宅を復元したものです。 復元された八田所長宅の裏庭。池は、台湾を象どっていて、岩が置いてある位置は、八田與一が関わった工事地点。 日本統治時代の台南測候所の建物。現在は、記念館として一般に公開されています。中には当時使用されていた地震計も展示されています。 日本統治時代の建物の多くは、そのまま使われています。 街中の店の様子。 台南の名物デザート「豆花」。左側の3つはタピオカをトッピング、右端はあずき、右上は何も無し。 在来線台南駅のそばにあるシャングリラ・ホテル台南(台南香格里拉遠東国際大飯店)。 シャングリラ・ホテル台南(台南香格里拉遠東国際大飯店)の室内。非常に広い! 戻る |