アルメニア アルメニアは、カスピ海と黒海の間にある国です。元は、ソ連に属していました。2004年10月に首都のエレバンで国際学会が開かれたので休暇をとって参加して来た。オスマントルコ時代にアルメニア人を大虐殺したしたというトルコ人とは仲が悪く、西側のトルコ国境はもちろん、東側のアゼルバイジャン(トルコ系民族)との国境も閉鎖されている。数年前には自治州の帰属を巡り戦争している。キリスト教国なので、南のイラン国境も閉鎖されていて、唯一北側のグルジアとのわずかな国境だけが陸路で往来できる場所という大変な環境に置かれている。私は、モスクワ経由の空路で行きました。アエロフロートだと往復8万円という安さ!しかし、石油も資源も無く大変な国。私や上田誠也先生の帰国便の飛行機がモスクワから到着してもエレバンでは給油できなくて、モスクワへ直接帰ることが出来ず、エレバンから一番近いロシア領のソチへ飛んで、そこで給油してモスクワへ帰る事態になった。そのため、同じ日のモスクワ−>成田の便に乗り遅れ、モスクワで1泊することになった。空港で長く待たされ、手荷物だけで狭いホテルに缶詰にされ大変だったが、一度遭遇するのも経験。旅慣れた上田先生には、いろいろ助けて頂き、助かりました。 1988年スピタク地震M6.8の地表地震断層(地震直後の写真をスキャン)。死者は、2万5千人!中央部に黒い服の立った人で段差が分かる。 我々も現地を視察したが、かなり崩れていた。しかし、地震で出来た段差は、まだはっきり分かる。右端の白い服を着た人のほぼ身長分が段差。この時は、冷たい小雨が降っていたけど、大半の人は傘もささずに丘の上へ登った。 ノアの箱船が流れ着いたとされるアララット山(トルコ領)と首都エレバンの街。帰国日の早朝に初めて全体がきれいに見えた。右側が大アララット山5165mで雄壮、左側の小アララット山3896mの方は富士山に似て形がきれいだ。 一番古いキリスト教であるアルメニア正教の教会。外装はとても質素。中へ入る時間はなくて、外から撮影しただけ。 エレバン駅。建物の上にある白い文字は左はキリル文字で、右はアルメニア文字。 この人、高校の同級生の曽根君にとても似ている!私は初めて会ったときびっくりしました。 1988年スピタク地震被災地を案内してくれた学生さん。日本人にも人気だったけどインド人やヨルダン人も一生懸命彼女の写真を取っていた。 アルメニアホテルのコンシェルジェ。本人はアルメニア人と言ったけど、ロシア系と思われる。知り合ったロシア人に彼女の写真を見せたら、彼女は絶対ロシア人だと主張していた。 戻る |