1965年8月3日(昭和40年)に始まったとされています(すべての地震のエネルギーを合計するとM6.4相当)。死者はありません。 最大の地震は、1966年4月5日17時51分 M5.4 有感地震は、6万回を越え、1日当たりの有感回数の最大は585回(2.5分に1回、以前は661回としていただ、これは午前9時から翌日の9時までの回数で現在は0時から24時までの回数)、無感地震を含めると6780回(約13秒に1回)を数えました(1966年4月17日)。 繰り返し起きた地震のため善光寺三門(重要文化財)の下層軸部が破損し、応急補強されていましたが、平成大修理(平成14年〜19年)で本格修理中です。 その後、無感地震を含めた総回数は、既に72万回を超え、現在も1日に1回程度は起きています。 最大地震の震源要素:1966年4月5日17時51分14.7秒 東経138°19' 北緯36°35' 深さ0km マグニチュード5.4(気象庁) 最大地震の震度分布。 液状化現象が起きた。この穴から土砂が噴出した。(坂本邦夫氏撮影:松代地震センター所蔵) 牧内地区で起きた地滑り。(坂本邦夫氏撮影:松代地震センター所蔵) 発光現象。(故栗林亨氏1966年2月12日04時17分妻女山付近撮影 自宅にて):松代地震センター所蔵 「4時17分地震直後松代町西方妻女山付近が仰角5°ぐらいまでかなり広い範囲(数km幅)に夕焼のごとき色を示し、 夕焼の中でももっとも複雑などすぐろい色に見えた。継続時 間は35秒」 この時は雲量10の曇天でにわか雪、北風1.2m、太陽は高度角−29°で方位は真東、月齢21.2の月は高度角35°で 方位角は南より東に20°であって、太陽・月・薄明の誤認ではない。なおその後しばらくして寒冷前線が通過している。 震源不明の地震は4時25分にあったが、空電はなかった。(安井,1968より) 発光現象。(故栗林亨氏1966年9月26日03時25分奇妙山一帯撮影 自宅にて):松代地震センター所蔵 「3時25分自宅より東方愛宕山、尼飾山、奇妙山、立石、皆神山、ノロシ山一帯が96秒間白色蛍光灯のごとく山に沿って光った。 光帯の仰角は5〜15°、光帯中心部は尼飾山南部より皆神山中心部で白色半光球状にも見え、 付近のちぎれ雲はかすみに帯赤色に着色しており、最輝時の40秒間は満月の明るさの3倍ぐらいだったと思う。 腕時計の秒針がはっきりと読めた。」 この時は快晴、風は西南西風1.5m、太陽は高度角ー27°、方位角は北より東に69°、月齢11.6の月は高度角ー13°、 方位角は南より75°であり、太陽・月・薄明の誤認とは考えられない。その前い弱い寒冷前線が通過したらしい。 地震は11分と37分でこの現象と直結したらしいものはなかったが、空電は23分、25分、26分、28分、29分と多かった。 栗林氏はこの発光現象をかなり暗い状態から最輝部となり、また漸次うすれている状態を数枚連続的に撮影したが、 上写真はその最輝時の色彩写真で、使用カメラは魚眼レンズを付したニコンF・8,UVフィルター使用、 露出は開放で36秒、フィルムはサクラカラーN(ASA 100)であった。 写真を詳細に見ると皆神山は黒々とシルエットで見え、奇妙山は相当に照らされているように写っている。 この現象はそう高空のものではないと思えるから、この発光現象は奇妙山よりは手前であり、 すくなくとも奇妙山よりずっと遠くで生じたものとは考えられない。 (安井,1968より) 松代地震資料総目録(松代地震センター) 地震と断層ー松代(地団研長野支部) 参考文献 安井豊,1968,地震に伴う発光現象に関する調査報告,地磁気観測所要報,13巻1号,25-61p:気,セ,松代 長野測候所,1915,信州の地震,93pp:気,地台,セ,松代,軽 気象庁,1968,松代群発地震調査報告,気象庁技術報告 62巻,556pp.:気,地台,セ,松代 長野県防災会議,1978,長野県における被害地震の記録,40pp:松代 長野地方気象台,1988,長野県の地震,14pp:地台,セ,松代 長野地方気象台,1996,長野県の地震(第二版),14pp:地台,セ,松代 長野地方気象台,2001,長野県の地震(第三版),18pp:地台,セ,松代 文献最後の項は、どこに所蔵されているかを示しています。 地台:長野地方気象台 セ:松代地震センター 松代:気象庁精密地震観測室(026-278-2235) 気:気象庁図書 軽:軽井沢測候所 気研:気象研究所 |