震源が県外で県内に被害の出た地震(未作成) 震源が県内・隣接地の被害地震(年代順) 主な地震の震央位置。図中の番号が下記の地震の番号に対応しています。 青線は、地表活断層線の位置を示しています。 県北部でおきる中規模以上の地震は、有感の前震を伴うことが多いようです。 信濃 841年(承和8年)M6.5以上。家屋倒壊有り 震源要素: 東経138.0° 北緯36.2° 深さ浅い マグニチュード6.5以上(宇佐美) 同年2月13日以前の地震。信濃の国府(元松本)を震央と考える。 宇佐美龍夫,2003,最新版日本被害地震総覧,地震番号014,東京大学出版会,39頁,松 越中・越後 863年(貞観5年6月17日)M7以上。震央は不明 山崩れ谷埋まり、水湧き、民家倒壊し、圧死者多数。直江津付近にあった数個の小島、この地震のために潰滅したという。確実な史料に津波記事なく、越中・越後とあるのみにて震央は不明。(宇佐美) 信濃北部 887年8月26日(仁和3年7月30日)信濃北部 :同じ日に南海トラフの巨大地震があり、疑わしい 宇佐美龍夫,2003,最新版日本被害地震総覧,地震番号026に続く記載。 荒川義則,1980,仁和3年(887年)信濃北部の地震に対する疑問,気象庁地震観測所技術報告,第1号,11-14. 信濃北部 1467年1月15日(文正元年12月1日)松川の流れ変わる。「上高井郡誌」にあるのみ。同書の「文政」は、「文正」の誤り。 宇佐美龍夫,2003,最新版日本被害地震総覧,地震番号066に続く記載。 上田和枝・都司嘉宣・涌井仙一郎,1994,長野県高山村奥山田地区を襲った文正元年12月1日(1467年1月15日)の地震、地震学会予稿集No.2, 松代(当時の松代藩内) 1627年10月22日(寛永4年9月14日)。死者有り、家屋倒壊80。 震源要素: 東経138.2° 北緯36.6° 深さ浅い マグニチュード(6)(理科年表) 宝永4年10月4日にも同様の記事あり。 宇佐美龍夫,2003,最新版日本被害地震総覧,地震番号093-2に続く記載。 信濃北西部 1714年4月28日(正徳4年3月15日)。信濃小谷村死者100。 震源要素: 東経137.85° 北緯36.7° 深さ浅い マグニチュード6 1/4(理科年表) 信濃・三河(遠山地震) 1718年8月22日(亨保3年7月26日)。飯田領で死者12。 震源要素: 東経137.9° 北緯35.3° 深さ浅い マグニチュード7.0(理科年表) 震災予防調査会,1913,震災予防調査会報告、信濃川流域及びその付近−本邦大地震概説−,第68号乙,90頁:セ 宇佐美龍夫,2003,最新版日本被害地震総覧,地震番号163,東京大学出版会,93頁,松 日下部新一,1985,伊那史学会:伊那,伊那谷記録文書に見る地震資料,68-71頁:セ 大澤和夫,1985,伊那史学会:伊那、遠山地震について,74-75頁:セ 伊那史学会,1985,伊那,飯田地方における主要地震一覧,76頁:セ 村沢武夫,1983,伊那谷の災害と凶作 享保年間の災害,24-27:セ 防災科学技術研究所,1980,東海地方地震津波史料(T・上巻)−静岡県・山梨県・長野県南部編−,研究資料No.35,289-292:セ 長野県防災会議,1977,長野県における被害地震の記録,19-20:セ 高遠・諏訪 1718年10月5日(亨保3年9月12日)。飯山で城ならびに民家大破。地震があったか疑わしい 宇佐美龍夫,2003,最新版日本被害地震総覧,地震番号163に続く記載,松 「月堂見聞州」に掲載あり? 気象庁,1968,気象庁技術報告(松代群発地震調査報告),長野盆地付近に起こった過去の地震,第62号,241頁では、M6.2、としているが。 高遠・諏訪(信濃・伊那・高遠) 1725年8月14日(亨保10年7月7日)。諏訪で死者4。 震源要素: 東経138.1° 北緯36.0° 深さ浅い マグニチュード6〜6.5(理科年表) 防災科学技術研究所,1980,東海地方地震津波史料(T・上巻)−静岡県・山梨県・長野県南部編−,研究資料No.35,292p:セ 宇佐美龍夫,2003,最新版日本被害地震総覧,地震番号169,東京大学出版会,松 長野県防災会議,1977,長野県における被害地震の記録,20p:セ 越後・越中 1751年5月21日(寛延4年(宝暦1年)4月26日)M7〜7.4。松代領で死者12。 震源要素: 東経138.2° 北緯37.1° 深さ浅い マグニチュード7〜7.4(理科年表) 防災科学技術研究所,1980,東海地方地震津波史料(T・上巻)−静岡県・山梨県・長野県南部編−,研究資料No.35,293p:セ 宇佐美龍夫,2003,最新版 日本被害地震総覧(地震番号185),東京大学出版会,100p:松 長野県防災会議,1977,長野県における被害地震の記録,21p:セ 松本 1791年7月23日(寛政3年6月23日)M6 3/4。 震源要素: 東経138.0° 北緯36.2° 深さ浅い マグニチュード6 3/4(理科年表) 防災科学技術研究所,1980,東海地方地震津波史料(T・上巻)−静岡県・山梨県・長野県南部編−,研究資料No.35,311-312:セ 宇佐美龍夫,2003,最新版 日本被害地震総覧(地震番号212-1),東京大学出版会,115p:松 信濃 1791年9月13日(寛政3年8月16日) 京都・江戸で有感、信州で15日夜の大地震で家よほど崩れという。被害は「永書」に載るのみ。 宇佐美龍夫,2003,最新版 日本被害地震総覧、地震番号212-1に続く記載,115p:松 1:善光寺地震 1847年5月8日(弘化4年3月24日)21時頃。 死者、松代2,695、飯山586、善光寺2,285、参詣者6,000〜7,000。流死100余。 震源要素: 東経138.2° 北緯36.7° 深さ浅い マグニチュード7.4(理科年表) 信濃北部(木内、更級) 1853年1月26日(嘉永5年12月17日)。死者無し 震源要素: 東経138.1° 北緯36.6° 深さ浅い マグニチュード6.5(理科年表) 善光寺で被害。長野市中で下屋の被害があった。松代領で壊家23. 信濃北西部(信濃大町) 1858年4月23日(安政5年3月10日)。死者無し 震源要素: 東経137.9° 北緯36.6° 深さ浅い マグニチュード5.7(理科年表) 震災予防調査会,1913,震災予防調査会報告:信濃川流域及びその付近−本邦大地震概説−,第68号乙,109p:セ 2:犀川流域の地震(震央、東筑摩郡生阪村附近) 1890年1月7日(明治23年)15時43分。死者無し 震源要素: 東経138.0° 北緯36.5° 深さ浅い マグニチュード6.2(茅野・宇津,1987) 東筑摩・北安曇・更科・上水内の各郡で家屋の小破、山崩れ、道路破損などがあった。 余震:北安曇郡美麻村における余震は 7日15時48分、17時ころ、18時ころ、 8日11時18分、20時03分にあった。 前震:この地震の約 5時間前の 1月 7日11時頃長野県北部の北安曇郡美麻・北城両村で微震を感じた。 震災予防調査会,1913,震災予防調査会報告:信濃川流域及びその付近−本邦大地震概説−,第68号乙,161-162p:セ 3:高井群発地震(1月に始まり12月まで有感続く) 1897年1月17日(明治30年)05時36分(M5.2)と4月30日16時02分(M5.4)。死者無し 震源要素:1月17日05時36分 東経138.3° 北緯36.7° 深さ浅い マグニチュード5.2(茅野・宇津,1987) :4月30日16時02分 東経138.3° 北緯36.7° 深さ浅い マグニチュード5.4(茅野・宇津,1987) 震災予防調査会,1913,震災予防調査会報告:信濃川流域及びその付近−本邦大地震概説−,第68号乙,162p:セ 気象庁,1968.9,気象庁技術報告(松代群発地震調査報告),長野盆地付近に起こった過去の地震,第62号,240頁:セ 長野県防災会議,1977,長野県における被害地震の記録,31-32p:セ 東京大学地震研究所,1973,研究速報,図説 日本の地震,No.9,26-27:セ 若穂町地震対策本部,1965,地震の基礎知識と善光寺地震,高井地震,3枚:セ 4:上田の地震 1912年8月17日(明治45年)23時22分。死者無し、土塀・石垣崩壊6。 震源要素: 東経138.3° 北緯36.4° 深さ浅い マグニチュード5.1(茅野・宇津,1987) 長野県内務部,1912,上田附近地震報告,23pp+4fig.(PDF文書約1MB,入力伊藤優):気,地台,セ,松代 5:大町地震 1918年11月11日(大正7年)02時59分と16時04分(M6.1とM6.5)。死者無し 震源要素:02時59分 東経137.9° 北緯36.5° 地殻内浅い マグニチュード6.1(理科年表) :16時04分 東経137.9° 北緯36.5° 地殻内浅い マグニチュード6.5(理科年表) 6:長沼地震(現在の長野市北東部) 1941年7月15日(昭和16年)23時45分頃。死者5 震源要素:45分26.8秒 東経138°11.81’ 北緯36°39.21’ 深さ5.3km マグニチュード6.1(気象庁) 7:古間(ふるま)村の地震(現在の信濃町) 1943年10月13日(昭和18年)14時42分頃。死者1 震源要素:43分00.4秒 東経138°13.3' 北緯36°48.3' 深さ10km マグニチュード5.9(気象庁) 古間村地震の震度分布。 8:松代群発地震 1965年8月3日(昭和40年)に始まったとされる。(M6.4相当)死者無し 最大地震の震源要素:1966年4月5日17時51分14.7秒 東経138°19' 北緯36°35' 深さ0km マグニチュード5.4(気象庁) 最大地震の震度分布。 9:長野県西部地震(御嶽山南麓、王滝村) 1984年9月14日(昭和59年)午前8時48分頃。死者29 震源要素:08時48分49.4秒 東経137°33.6' 北緯35°49.3' 深さ2km マグニチュード6.8(気象庁) 長野県西部地震の震度分布。 10:上高地の地震 1998年8月〜9月(平成10年)最大M5.6。死者なし 震源要素:8月16日03時31分07.83秒 東経137°37.72' 北緯36°19.50' 深さ3.1km マグニチュード5.6(気象庁) :8月12日15時13分03.67秒 東経137°37.87' 北緯36°14.02' 深さ2.7km マグニチュード5.0(気象庁) 8月16日の地震の震度分布。 全般的およびその他の地震の参考文献と所蔵場所 長野測候所,1915,信州の地震,93pp:気,地台,セ,松代,軽 同本文 44KB 同表(明治22年〜31年) 430KB 同表(明治32年〜41年) 564KB :PDF入力春原美幸。 中央気象台地震観測所,発行年不明1949〜1956の間,長野県の地震,8pp(ガリ版刷)PDF346KB入力伊藤優:松代 長野県防災会議,1978,長野県における被害地震の記録,40pp:松代 長野地方気象台,1988,長野県の地震,14pp:地台,セ,松代 長野地方気象台,1996,長野県の地震(第二版),14pp:地台,セ,松代 長野地方気象台,2001,長野県の地震(第三版),18pp:地台,セ,松代 長野測候所,1930,昭和4年3月16日2時3分頃の地震,験震時報,4巻,65-66頁.:気,気研 長宗留男・関彰,1951,松代と長野の地震記象の比較,験震時報,15巻,6-9頁.:気,気研,松代 気象庁地震観測所,1986,1986年8月24日長野県東部の地震調査報告,験震時報,50,105-117.:気,気研,松代 文献行最後の項は、どこに所蔵されているかを示しています。 地台:長野地方気象台 セ:松代地震センター(その後、廃止され資料は防災科技研へ) 松代:気象庁精密地震観測室(その後、閉鎖されました) 気:気象庁図書 軽:軽井沢測候所(その後、閉鎖されました) 気研:気象研究所 戻る |